諦めたらアイデアが降ってきた話

つい先ほど、この記事を書き始める前の話です。

普段は直感がその日の記事のテーマを決めてくれるのですが、
今日は何の話を書くといいか少し迷いました。

そこで、いちど書くのをやめました。


そのあと、

「そういえば、
アイデアって考えると思いつかないのに、
ぼーっとしてると思いつくときがあるな」

と思ったので、風呂に入ることにしました。

MacBookProを閉じて、
お酒やら天然塩やらを入れたスペシャルブレンドの浄化風呂に入りました。


そして、風呂に入りながら気づいたのは、
風呂に入っても、結局は「何を書こうかな」と考えてしまうので、
アイデアが出てこないことです(笑)

少し失敗したな、と思いました。

「ぼーっとしよう!」と思っても
意識的にぼーっとしようと思ったら
ぼーっとするのに集中してしまうので、
うまくぼーっとできないことに気づきました。


というわけで、逆に、めっちゃ風呂に入ることにしました。

記事のネタを考えるために風呂に入るのではなく、
風呂に入るだけために風呂に入ることにしたのです。

そうして考えるのをやめて
「風呂に入る」という行為だけに
意識を向けたとき、
時間はすーっと止まったように感じ、
静寂さがやってきました。

家の風呂に入っているのですが、
気分は大自然の中の温泉に入っている感じです。


脳内イメージ↓



しばらく無心の静寂さを体感していたら、
「そうだ、この体験そのものを書こう」と思いつき、今に至ります。


     *


人は油断すると未来の何かのために何かをしてしまいます。

美味しい食べ物が目の前にあっても、
「あとで」楽しむために写真を撮り、
(もちろん写真を撮るのが悪いということではありません)

その写真を見ているときは「次に」何をしようか考え、

仕事をしているときは休みの日のことを考え、
休みの日は仕事のことを考える。

やってくるであろう「いつか」のために行動しているのですが、
その「いつか」が来ても「別のいつか」に意識が行くので、
「永遠に来ないいつか」のために行動し続けてしまう。


こうなると、目の前の今に集中できなくなり、
脳内が忙しくなって、あっという間に時間が経過してしまいます。


そういえば、大人になると時間が進むの早く感じますよね。

でも、今に意識を向けているときは
不思議なくらいゆっくり時間が進むので、
中学生頃の体感時間に戻ったような感覚になります。

これは私だけかもしれませんが、いかがでしょう。


よろしければ1日に1回だけでも、今そのものを完全に体験してみてください。

何かのために何かをするのではなく、
ただありのままそれを体験してみる。


それは全プロセス(過程)にも意識を向けることです。


昔の私は、掃除とか片付けについて、
心のどこかで「おまけ」的な行動だと思っていました。

たとえば、料理をするのであれば、
食べるのとか作るのとかがメインであって片付けは面倒なこと、
という印象持っていたのですね。

でも今は意識を変えて、全てがメインであると思うことにしました。

むしろ、
掃除とか片付けの方が時間が長くなるくらいの意識で
やった方がいいんじゃないか、とすら思っています。


すると面白いことに掃除や片付けが
面倒だとは思わなくなっていました。

おまけだと思っていたときは、
「こんなのはさっさと終わりたい!」と思ったのですが、
すべてに意識を向けようと思ったら
「純粋に楽しもう」という感覚に変わっていたのです。


     *


幸せというのも、意外と身近にあったりします。


過去の私は「いつか」来るであろうすごい幸せを叶えるために
焦っていました。

焦りに焦って行動した結果、たしかにお金や時間は手に入りました。

豊かさの有り難さには気づきましたが、
それと幸福度というのは関係はしているものの、
絶対的な幸福とはほど遠いことに気づきました。


そして気づいたのは、
本当に長く続く幸せとは、
「願いが叶っても叶わなくてもいい」と心から思える精神状態に
到達することだということです。

その幸せとは、地味な普段の生活の中に隠れています。


丁寧にごはんを作る。

丁寧に部屋の隅々まで掃除する。

丁寧に仕事をする。

丁寧に人と接する。

丁寧にカモミールティーを飲んでみる。


自分の意識を丁寧にすれば、
なにも大金持ちにならなくともあたたかい幸せは感じられ、
目の前にある幸せを受け取れば、
未来にある幸せも自然とやってきます。

     *


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