傷を受け入れると気づきが生まれる

2017-05-21

昨日は講座メンバー向けのセミナーを開催していました。


色々な話をしたのですが、
みんなに共通のテーマかなと思ったので、
特に強調して話したことが

「自分がかわいそうな人(被害者)になって
相手をこっそり責めるのをやめましょ」


という話でした。


傷ついたときは、つい、
「自分がなにかをされた!」という被害者意識が強くなり、
周りに加害者(悪役)を作りだしてしまいます。

人が傷ついたときの攻撃手段は色々あるのですが、
代表的なものは以下のものがあると思っています。


1. 相手を責める。
「どうしてそんなことをするの!!」

2. 無関心を装って気を引く。
「……(もう知らないもんねー)」

3. とりあえず謝っておく。
「ごめんなさい(本当は悪いと思ってないけど)」


被害者のフリをするとき、
加害者であることを受け入れたくないと思っています。

自我にとってみれば、
「自分が悪かった」という考えを
どうしても認めたくないのです。

自分が悪いのを認めれば、自我は消滅してしまいます。

なので自我は、
自分が「かわいそうな被害者」になることで、
誰かが悪いことにしてしまう。

しかしこれもある種の攻撃なのです。


逆を考えてみれば見えてくることがあります。

「あなたのせいだ」と責められたり、
おおげさに謝られたりしたら、
悪者にされた気分にならないでしょうか?

実は、被害者を演じている偽物の自分は、
被害者の仮面をつけた加害者でもあるのです。



「被害者でいることが悪い」とか「絶対に治すべき!」とか、
そのような話ではありません。

何が悪いとか何が正しいとかの話になったら、また被害者と加害者の世界に逆戻り。




誰も傷つけたくないし、
傷つけられたくないはずです。

みんなそうです。

「本当はこんなことしたくないんだけど」と思いながら、
誰かを傷つけてしまいます。

たとえば、

「イライラして子供に当たってしまった」

「思ってもないことを友達に言ってしまった」

「ダメだと思いながら悪口を言ってしまった」

という話はよく聞きます。

「傷つけたくない」と感じながらも、
自分が傷ついたと感じたら、
とっさに誰かを傷つけてしまいます。


どうしてこうなってしまうのでしょうか。


もしかすると、
傷ついてきたのを隠していたかもしれません。

本当はものすごく悲しいのかもしれません。

それを受け入れたくなくて、
ダサい自分を見せたくなくて、
精神的に格闘してきたのかもしれません。


私も以前、大丈夫じゃないのに大丈夫だと思い込んでいました。

それが「もっと大丈夫じゃない状況」を
引き寄せました。

ところが、
大丈夫じゃないのを受け入れたら、
大丈夫になりました。


「うん、大丈夫じゃないわ!」と良い意味で開き直ったら
新たな気づきが生まれることがあります。

“傷つき”が”気づき”に変わることがあります。


たとえば……

「本当は、ただ愛してもらいたかっただけかも?」

と気づいたり。

純粋な気持ちに気づいたら、
最初に感じた本音を素直に伝えれば良いだけかもしれない。


”どんな気持ちを隠したせいで、
誰かを加害者に設定しなくては
ならなくなったのでしょうか?”

今日はこれを考えてみましょう。


誰かを悪者にしなくなったとき、
自分も悪者でいなくて良くなります。


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