本心で肯定したいことは今まで否定してきたこと

2017-06-09

たまに思うのは、

「自分がコッソリ馬鹿にしてることが、
ずっと探してたものなんじゃないか」


ってことです。


たとえば、昔のお金は私の亡者で。

……あ、ちょっと間違えた。


昔の私はお金の亡者で、
全部お金中心に考えてました。

「普通に必死で働いてるのなんてバッカじゃないの〜

これからは自分で稼いで自由になる時代ですぜ」

などと思ってました。


で、今はお金も時間もありますが(自慢 笑)、必死で働いています。

物質的な自由度よりも、
精神的な自由度の方が重要になったからです。


もちろんここでは「必死で働いた方がいいか働かない方がいいか」という
議論をしたいわけではありません。

それはどっちでもいいと思うんですけど、
もっと重要だと思うのは、

「人生で何を封印してきたか」

ってところです。


たぶん、ぼくらが馬鹿にしてる部分は、封印してきたことです。


馬鹿にするのが悪いってことではないですよ。

馬鹿にしてもいいと思うんですけど、

「それってもしかして、
何かを自分に言い聞かせるためにやってるんじゃないか?」


と、考えてみる価値はあると思うのです。


たとえば、
以前の亡者黒澤は働くのを馬鹿にしてましたが、
熱心に働くのを否定するのが本来の目的だったわけではなく、

「労働はだめだ。自由じゃなければならない」

と、自分に言い聞かせるために、
そのツールとして熱心に働くのを否定したのだと思います。

人生から「不自由」を封印したのです。


     *


遊んでる人をこっそり馬鹿にしてる人は、
もっと人生で楽しむことを封印したのかもしれません。

真面目な人をこっそり馬鹿にしてる人は、
もっと真剣に物事に取り組むことを封印したのかもしれません。


依存的な人をこっそり馬鹿にしている人は、
もっと人に頼ることを封印したのかもしれません。

自立的な人をこっそり馬鹿にしている人は、
もっと自分でやってみることを封印したのかもしれません。


お金持ちをこっそり馬鹿にしている人は、
もっと豊かになることを封印したのかもしれません。

お金がない人をこっそり馬鹿にしている人は、
お金以外の豊かさをキャッチするのを封印したのかもしれません。


強い人をこっそり馬鹿にしている人は、
自分の強い部分を封印したのかもしれません。(自分なんて…)

弱い人をこっそり馬鹿にしている人は、
自分の弱い部分を封印したのかもしれません。(強くなきゃいけない…)


     *


で、ここからが大事なところです。


これからは、
自分が何かをコッソリ馬鹿にしていたのに気づいたら、

「自分のどんな価値観を封印するために、
これを否定する必要があったのだろう?」

と考えてみては、いかがでしょう!


と思います。


……するとですね。

今まで馬鹿にしてたことっていうのは、
単に「それを怖れてただけなんだー」って気づいちゃいます。


あ、すぐには気づかないかもしれませんが。

いつかは気づきます。


もし気づいたら、
封印を解除して受け入れてあげてください。


もっと遊んでもいいし、もっと真面目でもいい。

もっと依存してもいいし、もっと自立してもいい。

もっとお金持ちになってもいいし、もっとお金を手放してもいい。

もっと強くなってもいいし、もっと弱くなってもいい。

すべては受け入れられているのですが、
制限をかけるのは、いつも自分です。


だれかがあなたに「こうあるべき」と期待したとしても、
べつにそれに絶対に応える必要はないですよ。

与えても少しも戻ってこないことで与えるのは、ただの犠牲です。


どうせ生きるなら、本音に正直に生きましょう。

後悔を積むのをやめましょう。

レールから脱線しても、
自分の信じる道を進みましょう。

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