理屈を超えたつながり(I Do)

2017-06-11

裏メルマガの内容が気になってる方も
いらっしゃると思うので、
今回のようにたまーに転載します。

そういえば
メルマガの返信の内容にシンクロが起きて、
同じような内容の返信が同時に別々の人から来ることが多いのですが、
今回は

「黒澤さんが選んだ曲を聴いてます!」

でした。


……内容と関係ない!笑

でも嬉しいので、今回も一番下に音楽をはりつけておきます。


では、以下本題に入ります。





黒澤です。


6月前半は、全員ではないですが
体が重くなったり落ち込んだりした人が
多かったんじゃないかなぁ、と思います。


そんなときは

「どうしよう!」

と焦ったり、

「なんでこんなにだめなんだろう」

と責めたりしないで、

「こういう時期なんだな〜」

という感じで、
ポジティブに休むといいです。


落ちてるときはホント変なことしか考えなくなるので(笑)、
あんまりゴチャゴチャ考えないで、
心地良くなることに意識向けましょう。

ゆっくり風呂に入って、体を温めるとか。

自然があるところに行って、風や太陽にあたってみるとか。

好きな音楽を聴いて、リラックスするとか。


で、先ほど、

『落ちたときは、こういう時期なんだなー、と思うといい』

と書きましたが、
「こういう時期」とは何か?


……

それは、”大きな飛躍への準備期間”です。


実際、大きな変化が起きる前は、
不調になることが多いです。


手の平にペンを乗せるイメージをしてみてください。

ペンを上に飛ばそうと思ったら、
手を一度下げる必要がありますよね。


大きなジャンプをするには、大きくかがむ必要があります。


ヒナが初めて羽ばたくときは、
地面に一度落ちそうになってから頑張って飛翔します。


……

以上のたとえのように、
人生でジャンプする前でも、

「落ちる」

という経験がやってきます。


この話をするときに思い出すのは、
私が小さい頃、喘息という病気だったときのことです。

喘息というのは呼吸器系の病気で、
発作が起きると
ぜーぜー息苦しくなります。

私は重症な方だったようで、何度か入院もしました。


毎日、薬を何十錠も飲んでいました。

体内から酸素の量が減って
本当に死にそうになったこともありました。

(今では風邪すらひかないですが笑)


いやー、あれは大変です。

息を吸ってるはずなのに、
酸素が体にぜんぜん入っていかないんですね。

で、咳もでるので
余計に苦しくなりますし、
肺や喉が痛くなります。


本当に苦しいときや、
物理的に痛いときは、

「スピリチュアルな教えなんてどうでもいい!」

と思う。

というか、
もう全てのことが気休めでしかなくなります。

苦しいもんは苦しい。

痛いもんは痛い。

全部どうでもよくなりまよ。


ところが、ですよ。

それだけ辛い体験をした後というのは、
なぜか普通に生きていることへの感謝が始まります。

死にそうなほどの激痛から、

「ちょっと痛い」

くらいに変わっただけでも、
すっごく救われた気分になります。

辛い発作の後は、
病院の美味しくない料理(失礼 笑)が
とんでもなく美味しく感じて
泣けてくるときもあります。


やはり、
苦しみというのも光を感じるために与えられたプレゼントなんだな、
と思うときがあります。

実際に苦しいときは、そんなことどうでもよくなりますが(笑)


ぼくらは
痛い目にあってからようやく、
痛くないときの有り難さに気づくようです。

辛いことになってからようやく、
辛くないときの有り難さに気づくようです。


で、たまに思うのは

【 こうやって普通に生きてるのって、
すごい奇跡なんじゃないか! 】

ってことです。


ふつうに食べて。

ふつうに歩いて。

ふつうに喋って。

ふつうに喧嘩して(笑)


変に同情したり比べたりする気はないですが、
僕らにとっての「ふつう」が、普通じゃない人たちも大勢います。

ふつうのことを出来るようになることが、理想になってる人もいます。

ふつうのことが出来るなら、
たぶん、
ものすごい体験をしています。


ところが、普通に生活していると、
そんなありがたい感覚はどこへやら。

世界とのつながりはブツブツと切れていきます。

「あれも関係ない」「あの人も関係ない」
という感じで、
つながりが切れて冷たくなっていくと、
不安と寂しさが増していきます。

どんなに物質的に豊かであっても、
精神的に満たされない状況がやってきてしまいます。


そんなときは……

「もう一度、つながってみようよ!」

「世界や人と、仲良くなってみようよ!」

って思います。


親密になることで
傷つくこともあるかもしれませんし、
傷つけてしまうこともあるかもしれません。

ぶつかることもあるかもしれません。

ですが、そうやって関わっていくことで、
世界(他者)と自分との境界線が溶けていき、

「つながり」

が取り戻されていきます。

そこに幸せのヒントが隠れています。


そもそも、
幸せとはなんだろか、
と考えるときがあります。

私は特定の状況や環境が幸せをもたらしてくれるわけではない、
という経験をしました。


では幸せはどこにあるのか?

というか、幸せってあるのか。


私の場合は
苦しみの後の解放に幸せを感じる経験をしました。

苦しみがゼロの世界だったら、幸せに気づけなかったかもしれません。

だとしたら、
苦しみと幸せすら
つながっているのかもしれない。

苦しみはハッピーエンドの伏線かもしれない。


そんな楽しい映画を観る観客になれたらなぁ、と思います。


ですが、
“罪の意識”が邪魔になるときがあると思います。

「自分なんかが幸せになっていいのだろうか」という気持ちを
持っていると、
目の前にある豊かさを受け取れなくなってしまいます。

実は、幸せになる許可を、
自分で自分に出せていなかっただけなのかもしれません。


罪悪感は幻です。

幸せになっていいんです。

幸せは自然な状態です。

今日は幸せになる許可を出してあげてみてください。


幸せになるのに、
特別で複雑なことは必要ないかもしれません。

もう
いろんな勉強をしてもですね、
ほんっっとに小さなことで知識がぶっ飛ぶときがあります。


たとえば、


ふと空を見てるとき。

好きだよって心から言われたとき。(妄想)

美味しいごはんを食べてるとき。

……


「つながり」は理屈を簡単に超えてくる。


だからつながりは”知るもの”じゃない。

元からココにあるものだから、
“気づく”だけでいいのです。




自分を探求すれば他者にたどり着き、
他者を探求すれば自分にたどり着く。


これから落ち込んだときは、
自分よりもっと大変な人の心を
助けようとしてみてはいかがでしょう。

犠牲的にならなくていいです。


ただ一緒に楽しむことで
シンプルに幸せを受け取れるかもしれませんよ。

(◍ ´꒳` ◍)b





per essere sempre di più
もっとここに居ることを感じるために

i do, i do oltrepassare mondi inespugnabili
困難な世界を踏み越える

senza temere nulla più…
もう何も怖がらない



追伸.


そんな「つながり」をみんなにも体験していただけたらなぁ、
なんて考えていたら、

『体感型のセミナーを開こう!』

と思いつきました。

文章や言葉は私にとってツールでしかなくて、
創造したいのは

「究極のつながり」

だったりします。

ブログやメルマガでは表現しきれないことを
表現できたらな、
と考えています。

1回目は「7月29日(土)夕方~宮城県仙台市にて」開催予定です。

まだ先ですが興味がある場合は
予定を空けておいてください。

感想や質問は遠慮なくどうぞ

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