死と神社と出血と

2017-06-16

ブログではおひさしぶりです。

前回の投稿から3日あいだが空いてしまいました。


何かお役に立ちそうなことも書きつつ、
たまには最近起きたことをブログっぽく書いてみようと
思います。


     *


6月13日の早朝、
講座の参加者でありビジネスパートナーであり親友でもある西村さんと
青麻(あおそ)神社というところに行ってきました。


私は車を持ってないので西村さんの車に乗り、
走ることだいたい30分くらいでしょうか。

神社に到着しました。

平日の早朝というのあってか、
人はぼくら2人以外居らず、
とても静かでした。


参拝後、しばらく無言で神社の空気感を感じていました。


生活していると、ときどき喋らない方が
いいんじゃないかと思うときがあります。

このときもそうでした。

話したら何かが壊れちゃうような。


しばらく神社の空気を味わったあと
駐車場に戻ると、
このような看板を発見しました。

━━━━━
三光の滝
 ←
━━━━━

矢印の先は小さな道になっていました。


RPGとかゼルダの伝説をやっていて、(知らない人すみません)
新しい土地に行ったときに

━━━━━
神の神殿
 ←
━━━━━

みたいな看板を発見して
なぜか入りたくなるあの感覚になりました。


細い道を入って行くと、そこには不思議な静寂がありました。

もちろん音はなっているのですが、
なんというか空間はピタッと止まっている感じ。


どこからか聴こえてくる鳥の鳴き声。

木々が擦れる音や、水が流れる音、風が通る音。

綺麗な空気と清らかな雰囲気。


ふと見ると西村さんが流れている水を見てました。

その西村さんを撮る。




客観的に見るとまるでカップルのようですが、
私の恋愛対象は女性です。

西村さんも女性が大好きだと推測しているのですが、
あまり表に出さないので、
何かメンタルブロックみたいなものがあるのかもしれません。


その話はおいておいて、
調子が崩れてきたときは
自然が豊かなところに行くのをおすすめします。

自然が本来のバランス感覚を思い出させてくれるからです。


その後は近くのカフェに移動して
2人で

「神社に行ったら、人生の何かが切り替わった気がしましたね」

と話していました。


人生の流れが変わる瞬間を経験された方は
いらっしゃるのではないでしょうか。

そして私も
この神社の日をきっかけに何かが変わるな、と、
だいぶ前から思っていました。


そもそもスピリチュアルな話をずっとしていたのに、
なぜか神社に行こうと思わなかったのです。

というよりも、
なんとなく「行くタイミングではない」と思っていたのですが、
このタイミングになって、

「あ、行った方がいいな」

と思い、西村さんを誘ったわけです。


具体的に何が変わったかと言われると
言葉で伝えるのは難しいのですが、
まるで人生の新章に突入した感覚になりました。


しかし、
何かが生まれる前は何かが死んだりします。

私は前日のことを思い出していました。


     *


神社に行く前日、
6月12日は「死の香り」を感じた日でした。

別に死にたくなったわけではありません。

死が身近に感じられたという意味です。


その日は何故か高校生の頃の親友のことを朝から考えていました。

私は起業後、
学生時代の人と関わることはなかったのですが、
彼とだけはときどき会ってました。


彼はとても頭が良く、
良い大学に行き、そしてとても有名な会社に入りました。

私はそんな彼を純粋に尊敬していました。


大人になってから彼と居酒屋で話したときがあります。


私はビールを片手に、
少し酔っ払いながらこう言いました。

「お前、すごいよなぁ。

高校生の頃から絶対いい会社行けると思ってたよ。

俺なんて会社やめてフラフラして
ぜんぜんダメだぜー」


すると彼は言いました。

「いやいや、イカっちの方がすごいと思う」


彼は私のことをイカっちと呼びます。

いかさま師の略です。

(イカサマはしてないですが
いかさま師っぽいらしいです。)


「なにがすごいんだか分からんよ」


「いかっちはレールの上じゃなくても
そうやってうまくいってるじゃん」


「でもレールの上を歩き続ける忍耐もすごいよ」


……


彼と話せたのはそれが最後でした。


彼が自殺したと電話がきたのは、
これを書いている半年前くらいのことです。


今では彼が言っていたことが正しかったと思います。

もう少し自分の価値を認めようと
思いました。


そんな回想を終え、
メールボックスを開くと、
リアルタイムで

「自殺しようと思ってましたが、
黒澤さんのおかげで死ぬのをやめました。

黒澤さんは命の恩人です」

といった内容のメールが
このブログの読者さんから来ていました。


私は不思議な感覚になりました。

このようなメッセージが来ることは
珍しいことではないですが、
その度に

「どうだ!自分のおかげで救われてよかったでしょ」

と思うことはありません。

感謝のことばは受け取りつつも、
「自分のおかげ」というよりも、
いろいろなつながりがあって
生かされ生かしあっているのではないかと。

感謝のことばをいただくたびに、
むしろそのつながりに感謝することになります。


「死ぬな」とも「生きるな」とも言いません。


たぶん僕らが求めているのは
永遠の安心感みたいなものなのだと思います。

なので、
死ねばその究極に到達するかもしれないと
考えるときがあります。


しかし、生きていても、その永遠(愛)に到達することは可能です。


これはいつも書いてるのですが、
「永遠はない」のは永遠です。

変化(=今)だけが永遠なのです。


特定の状況に永遠はありません。


お金持ちになる

成功者になる

結婚する


たしかに豊かになるのは素晴らしいことだし、
目指したらいいと思いますが、
それらは永遠ではありません。

結局、ぼくらもいつか死にますし、
かたちあるものは古くなり、消えていきます。


しかし私はそれに対してネガティブな印象がありません。


結局は、
その「変えられない事実」に対して抗うか、受け入れるか、という
ぼくらの”精神的姿勢”が重要なんじゃないかなぁ、
と思います。


この日(12日)のブログのタイトルが

「何かが終わり続け、何かが始まり続ける」

となっていたのは
何かのメッセージをキャッチしていたからなのかも
しれません。


そんなこんなで12日のは死の香りがし、
次の13日に神社に行って人生の流れが変わる体験をしたのでした。

この調子でいいことばかりが起きればいいのですが、
まぁ、
そんなことはなく、
次の14日は親知らずの抜歯が待ってました。


    *


6月14日。

右下の斜めに生えた親知らずを抜くために
歯医者に来ていました。


今まで2本の親知らずを抜いていたので慣れています。

しかし、
今回の3本目はなかなかに大変なものでした。


抜くの自体はそんなに大変なものではありません。


その歯医者は手鏡を渡され、
「見てみてください」と言われるので、
私は自分の歯が抜かれる様子を真剣に見ていました。

斜めに生えていたので、
徐々に引っ張りながら隣の歯に親知らずがぶつかったら、
親知らずを削りながら、
また引っ張る。

こんなのを繰り返して、最後にはブチブチっといいながら抜けます。


抜いたところには大きな穴が空いてました。


傷口を糸で縫うときに
先生が

「学生時代は家庭科の成績良かったから安心してね」

と面白いようなことを言われたので、
ツッコミを入れたかったのですが、
私は口を大きく開けていたので、

「あぁ…はぅ…あ…」

と、カオナシのような声を出すしかありませんでした。

しかも話そうとすると口や舌が動いてしまいます。


生活していると、ときどき喋らない方が
いいんじゃないかと思うときがあります。

このときもそうでした。


まあ、色々とすごいなぁと思っていました。


ちゃんと血が出るおかげで
私の体は治そうと頑張ってくれている。

感謝。


あとすごいのは歯を削る機械や麻酔。

麻酔ない時代って
痛いまま治療してたんですよね。

過去には親知らずで死んだりする人も居たみたいです。

今では色々と進化してるから
親知らずで死ぬってことは普通ないと思います。

感謝。


技術がある先生にも感謝。


で、お金を払うときも保険があるので安くなる。

これもみんなが
お金を出してくれてるから。

感謝。


何か1つでも欠けていたら、この状況を受け取れなかった。

ほんと当たり前ってないんだなぁ
と思います。


で、そのあとに気づいたのは、

「自分、なんにもやってないじゃん!」

てことです。

いやー、
ほんと全てがありがとうございます。

なんて思いながら帰ったら問題が発生しました。


家に帰った後で大量出血が始まったのです(笑)


夜になっていたので、
歯医者は閉まってるし、
かといって救急車を呼ぶレベルの出血でもない。

とはいえ滲む程度ではなく、
数分で口の中に血が溜まって吐き出さないといけないくらいです。


そういえば、
血が出たら丸めたガーゼで圧迫して止血してください
と言われたなと思って
30分くらい圧迫することにしました。


30分後。


止まっててくださいと祈る。

ガーゼをゆっくりとる。

血がドロドロ出る。

止まってない……


神様、この試練にどんな意味があるのでしょう。


そんな心の叫びも意味なく、ジュワーっと血が出てきました。

不思議なんですが痛み止めを飲んでたのもあってか
痛みはほとんど感じませんでした。

鼻血のように血が出続ける。


私は諦めました。

神にサレンダーし、
出血したまま寝ることにしました。


しかし目を閉じても血の味がして眠れないばかりか、
油断して口を開くと血がドバドバと枕に出てしまいます。


再び起きて鏡で口の中をみたら、
ゾンビのごとく真っ赤になってて
これはまずいんじゃないかと思いつつも
Googleで

「抜歯 出血」

などと冷静に検索している自分を客観視して
少し面白くなってました。


ほとんどのサイトに、

「口の中での出血は唾液と血が混ざり
ふつうより多く出血してるように見える」

と書いてありました。


なんとか朝まで耐えてることにしました。

まぁ、こんな日もあるけど楽しもう。





6月15日。

歯医者にはもともと消毒で午後から行く予定でしたが、
出血してます、と歯医者に伝えて
午前中から診てもらうことになりました。


歯医者の先生から

「止血するときにガーゼを噛む力が弱かったんだねー」

と言われて、
指でおもいっきり傷口をおさえられ続けていました。

これはかなり痛かったですが、
精神で肉体をある程度コントロールできるので
痛みを減らして耐えました。

こんなところで瞑想の恩恵を受けようとは。


痛みに耐えること30分、ようやく血が止まりました。

いやー良かった!


……

で、帰り道、またも問題が発生しました。


また血が出てきたのです(笑)


あの止血の激痛に耐えた意味はなんだったのだろう。

これは何の修行だろう。


ふたたび歯医者にもどり、
追加で傷口を縫われてようやく血が止まりました。


出血との長き戦いは終了しましたが、
その数十分後には
受講生の高橋久美さんの相談に乗る予定が入っています。

私は、また血が出てこないように祈りつつ
高橋さんがいる場所に向かいました。





この記事も終わりが近づいてきました。

ですが、ここからが私が特に伝えたい部分です。

ある意味、
“死の12日”と”神社の13日”と”出血の14日”の
総まとめみたいなのが
15日の高橋久美さんの対面セッションでした。


というわけで、ここからが本題です。(前置きが長かった!)


高橋久美さんは、
大きな問題もなければ大きな成功もなければ
という感じでした。

しかし、なんとなく人生に対して無感覚になっているのを感じ、
私はこのような話をしました。


//ーーーーーー


みんななんですけど、
「未来のための今」になっちゃってるんですね。


こうなったらどうしよう

あぁなったらどうしよう


って、
まだ起きてない未来を
ずっと考えて不安になってる。


で、こういう人は、
わたしの経験からすると、


あの時こうだったから今こうなんだ

あの時こうしてれば今こうならなかった


みたいに過去に生きてます。


高橋さんも、
いま文章書くのを頑張って
サイトに10万人も人が来てますけど、
それを本当の意味で感じれてますか。

たぶん、今は

(もっとアクセスが増えたら…)

とか

(もっとお金を受け取れる価値ある人間になれたら…)

って感じで
意識が未来にいってはいないでしょうか。


もちろん頑張るなってことではないです。

単純に

「もっと受け取ってみたら?」

ってことです。


今の自分じゃだめだ!

もっと変われば!

よくなれば!


いやいや、今のままでじゅうぶんすごいですよ。

でもこうやって
高橋さんのこと褒めても、
ぜんぜん受け取らないですよね。

「自分はそんなんじゃないです」

って雰囲気を出すはずです。


これって、とってももったいないことですよ。


だっていまそうやって否定してたら、
どんなにお金稼いでも
どんなにサイトに人がやってきても、
どんなに大成功しても、

「ま、ぜんぜんダメなんだけどね」

みたいな感じにグレーな気分になっちゃう。

そうして周りからの祝福を
受け取れなくなっていくわけです。


すると高橋さんはいつかこう思うわけです。

『自分はこんなに頑張ってるのに…(もっと認めてもらいたい)』


不足感を感じる。


これ矛盾してますよね。

認めてもらいたいと思ってるのに、
認めてもらえないと感じる。


それはすでに認められてるのにうけとってないから、
っていうシンプルな話なのです。



今、うけとってるすべてのことに気づけば
自分にもっと価値があることに
気づけると思いますよ。


ーーーーーー//


私は自殺してしまった彼が私に話してくれたことを
思い出しながら話していました。


話が落ち着いたところで、

『高橋さんは、もっと自分のことを認めてあげたら
いいと思いますよ』

とぽろっと言ったら、
高橋さんは泣き始めてしまいました。


号泣していました。


たぶん悲しくて泣いたというよりも、
「もっと認めてあげてよかったんだ」って思ったんじゃないかと
思います。

でももっと複雑なものかもしれません。

とにかく高橋久美さんは泣いていました。


生活していると、ときどき喋らない方が
いいんじゃないかと思うときがあります。

このときもそうでした。


「あぁ、もう戦いをやめていいんだ」と気づいたときの
なにかに救われたときの涙を我慢して
ちょっと涙目になる人もいるのですが、
この類の涙に関しては我慢せずに出したらいいと思います。

だって、
今まで格好つけて泣けてなかっただけなんだから、
格好つけなくてよくなったら泣いても良い。


     *


もし苦しいのであれば、戦っているのかもしれません。


変えられないことを
変えようとしたり…

変えられることを
変えようとしなかったり…


そんなときは、

変えられないことを受け入れてみてください。

変えられることを変えようとしてみてください。


強くなろうとしなくていいんです。

だってあなたが強くなったら、
誰かが助けるぶんの余白がなくなっちゃうんです。


強くありたいと思うから、
誰かと比べて

「自分なんて」

って思っちゃう。


じゃあ、弱くなればいいのか。


いや、ぼくらはもともと弱いですよ。

その弱さ、
ダメな自分というプレゼントを受け取れるでしょうか。

受け入れられるでしょうか。

価値を感じられるでしょうか。


これはチャレンジかもしれません。


いつか、
ダメな部分を愛せるようになったとき、
許せるようになったとき、
周りの人はダメな部分を愛してくれるようになります。

そしてどうか
周りの人のダメな部分も愛してあげてみてください。


勝者よりも笑者でいたいものです。


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