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STAR DRIVER 輝きのタクトと孤独感の証明

黒澤全です。


『スタードライバー輝きのタクト』というアニメを観ています。

まだ途中の話数までしか観てないのですが、
独特の世界観なので好き嫌いが分かれそうだな、と感じております。

(『輪るピングドラム』とか
ちょっと変わった世界観が好きな人は
好きになるかもしれません。)

『スタードライバー輝きのタクト』の何が独特かというと、
色々なところなのですが、特にキャラクターです。


このブログはアニメ専門ブログではないつもりなので少し真面目な話をしますと、
アニメや映画などを観ているとき、
「このキャラクターの雰囲気は自分と似てるな」と思ったら、
そのキャラクターとメンタルブロックも似ている可能性が高いです。

たとえば、『スタードライバー輝きのタクト』には
シンドウ・スガタという青い髪のイケメンキャラが出てくるのですが、
彼のようなクール知的系キャラは孤独であることが多いです。

もしクールな雰囲気の孤独キャラが好きな場合は、
孤独に関連するメンタルブロックがあるかもしれません。


孤独が好きという場合は、微妙なかたちで自分のスペシャル感を守っています。

もちろん「孤独は嫌だ!」と表面では思いながら、
孤独を選んでしまっている人もいます。

孤独感は辛いですが、実はその辛さの裏には微妙な心地良さがあるのです。

「自分は人ととは違うんだ」という、
中二病のようであり、辛く暗く、
それでいて微妙な快楽も含んだ感覚です。


「なぜか孤独感を感じてしまう」という場合は、
実は孤独感をこっそり楽しんでいないかチェックしてみることをおすすめします。

物理的に引きこもっていなくても、精神的に引きこもっている場合もあります。


最初は自分から孤独を選んでいるというのは、
信じられないかもしれません。

信じなくてもいいのですが、可能性だけは見てみていただきたいのです。

もしかすると、過去の辛い体験によって、
人間関係のシェッターをガラガラと閉じてしまっているのかも
しれません。

シャッターを閉じて孤独でいる間は、自分の「ある領域」を守れます。

逆にいうと、
孤独ではなくなってしまったら何かが傷ついてしまうのを、
恐れているのかもしれません。

「もうあんな辛い体験はしたくない」

そういう恐怖から、孤独を選んでいる人もいます。


この孤独感を乗り越えたい場合は、
自分のスペシャル感を守りたい気持ちを超越して、
真の意味で周りの人との距離感を近くしていくといいです。

『スタードライバー輝きのタクト』のスガタも、
主人公のタクトと殴り合いの喧嘩をすることで一段階成長できました。(8話)

現実で殴り合いまでする必要はないと思いますが、
時にはアツく本音をぶつけて本当の仲の良さを取り戻すのも
大事だと思います。

「自分は孤独なんです」と周りにこっそり証明するのは、
諦めるタイミングかもしれません。


全く新しい関係を築けないか、身近な人の魂(本質)に近づいてみましょう。


因みに、相手に近づくというのは、
依存して下に入るということでも、
相手を支配して上に入ることでもありません。

本当に良い状態になっていれば、
自分も相手もその関係に幸福さを感じているはずです。

自分だけ相手に与えて自分が幸せになってなかったり、
相手だけ苦しそうで自分だけ受け取りすぎていたり、
そのような関係はバランスを崩しており、
逆にいうと今よりも幸福な段階に進める可能性があります。


講座だったらここで「男性性と女性性の統合がなんたら」と話し始めるのですが、
まず前提として必要なのは、
コミュニケーションスキルといった知識や技術ではなく、
スタードライバーのタクトのような無邪気さや素直さといったオープンさです。

もしオープンにするのが恥ずかしい場合は、
孤独の段階に居るサインかもしれません。

私も過去、そうでした。

「周りからこう思われたらどうしよう」と
ずっと気にしていたのです。

しかし、今は気にするのを諦めました。

周りから見た自分をコントロールするのは不可能だということを
学んだからです。

ですが同時に、
「周りがどう思おうとも、
自分が自分をどう思うかは昔も今も完全に自由だ」
ということも学びました。


傷つくのを恐れて、守りに入ったときから”孤独の証明”が始まり、自由を失います。

『スタードライバー輝きのタクト』は途中までしか観てないのでわかりませんが、
おそらくスガタも過去に何かがあって、
人と親密になるのを避けることで”孤独の証明”を始めたのだと思います。

それを主人公のタクトが解いていく、という予想です。

他のキャラクターも何かのしがらみがあるので、
それが解放されていくストーリーなのかもしれませんね。


人生が良い方向に進まないときは、
しがらみに囚われていないかチェックしてみてはいかがでしょうか?

「絶対にこれをやらなければならない」
と思っていることの大半は、
実は「やらない」という選択も可能です。

これに気づいてしまえば、24時間以内に人生が大きく変わる可能性すらあります。

しかし、そうも簡単にいかないのが
人生の面白いところだとも思いますが。


人生という冒険は続く。

諦めたらアイデアが降ってきた話

つい先ほど、この記事を書き始める前の話です。

普段は直感がその日の記事のテーマを決めてくれるのですが、
今日は何の話を書くといいか少し迷いました。

そこで、いちど書くのをやめました。


そのあと、

「そういえば、
アイデアって考えると思いつかないのに、
ぼーっとしてると思いつくときがあるな」

と思ったので、風呂に入ることにしました。

MacBookProを閉じて、
お酒やら天然塩やらを入れたスペシャルブレンドの浄化風呂に入りました。


そして、風呂に入りながら気づいたのは、
風呂に入っても、結局は「何を書こうかな」と考えてしまうので、
アイデアが出てこないことです(笑)

少し失敗したな、と思いました。

「ぼーっとしよう!」と思っても
意識的にぼーっとしようと思ったら
ぼーっとするのに集中してしまうので、
うまくぼーっとできないことに気づきました。


というわけで、逆に、めっちゃ風呂に入ることにしました。

記事のネタを考えるために風呂に入るのではなく、
風呂に入るだけために風呂に入ることにしたのです。

そうして考えるのをやめて
「風呂に入る」という行為だけに
意識を向けたとき、
時間はすーっと止まったように感じ、
静寂さがやってきました。

家の風呂に入っているのですが、
気分は大自然の中の温泉に入っている感じです。


脳内イメージ↓



しばらく無心の静寂さを体感していたら、
「そうだ、この体験そのものを書こう」と思いつき、今に至ります。


     *


人は油断すると未来の何かのために何かをしてしまいます。

美味しい食べ物が目の前にあっても、
「あとで」楽しむために写真を撮り、
(もちろん写真を撮るのが悪いということではありません)

その写真を見ているときは「次に」何をしようか考え、

仕事をしているときは休みの日のことを考え、
休みの日は仕事のことを考える。

やってくるであろう「いつか」のために行動しているのですが、
その「いつか」が来ても「別のいつか」に意識が行くので、
「永遠に来ないいつか」のために行動し続けてしまう。


こうなると、目の前の今に集中できなくなり、
脳内が忙しくなって、あっという間に時間が経過してしまいます。


そういえば、大人になると時間が進むの早く感じますよね。

でも、今に意識を向けているときは
不思議なくらいゆっくり時間が進むので、
中学生頃の体感時間に戻ったような感覚になります。

これは私だけかもしれませんが、いかがでしょう。


よろしければ1日に1回だけでも、今そのものを完全に体験してみてください。

何かのために何かをするのではなく、
ただありのままそれを体験してみる。


それは全プロセス(過程)にも意識を向けることです。


昔の私は、掃除とか片付けについて、
心のどこかで「おまけ」的な行動だと思っていました。

たとえば、料理をするのであれば、
食べるのとか作るのとかがメインであって片付けは面倒なこと、
という印象持っていたのですね。

でも今は意識を変えて、全てがメインであると思うことにしました。

むしろ、
掃除とか片付けの方が時間が長くなるくらいの意識で
やった方がいいんじゃないか、とすら思っています。


すると面白いことに掃除や片付けが
面倒だとは思わなくなっていました。

おまけだと思っていたときは、
「こんなのはさっさと終わりたい!」と思ったのですが、
すべてに意識を向けようと思ったら
「純粋に楽しもう」という感覚に変わっていたのです。


     *


幸せというのも、意外と身近にあったりします。


過去の私は「いつか」来るであろうすごい幸せを叶えるために
焦っていました。

焦りに焦って行動した結果、たしかにお金や時間は手に入りました。

豊かさの有り難さには気づきましたが、
それと幸福度というのは関係はしているものの、
絶対的な幸福とはほど遠いことに気づきました。


そして気づいたのは、
本当に長く続く幸せとは、
「願いが叶っても叶わなくてもいい」と心から思える精神状態に
到達することだということです。

その幸せとは、地味な普段の生活の中に隠れています。


丁寧にごはんを作る。

丁寧に部屋の隅々まで掃除する。

丁寧に仕事をする。

丁寧に人と接する。

丁寧にカモミールティーを飲んでみる。


自分の意識を丁寧にすれば、
なにも大金持ちにならなくともあたたかい幸せは感じられ、
目の前にある幸せを受け取れば、
未来にある幸せも自然とやってきます。

真のオリジナリティとステージ

黒澤です。

昨日は「世界創造セミナー」というなんとも怪しげというか
オカルトスピリチュアル風味なネーミングのセミナーを開催していました。

実際にはかなり現実的な話で、

《自分オリジナルの世界観を作ると人生が
うまくいきやすいですよ》

みたいな話しを5時間くらいかけてしました。

ここで5時間のセミナー内容のすべてをご紹介するのは無理ですが、
少しでもシェアできればな、と思います。


さて、オリジナルの世界観を作るとは、
「自分にしか出来ないことを作る」という考え方です。

誰にでも出来ることとかロボットでも出来ることとか、
そのようなことでもある程度は価値を生み出せるので
お金を得ることは出来ますが、成功する人は、
「誰にでもできることは、誰かに任せておく」というマインドの人が多いです。

なぜなら、自分にしか出来ないことをした方が価値があるので、
報酬も増やせるからです。


因みに、オリジナルの世界観を作るのは「差別化」とは違います。

「私はあの人とはこう違うんです!」という差別化は、
自分から何かと比較することであって、
比較対象そのものや比較対象の見せ方を変えるだけで、
差別化は簡単に出来てしまいます。

簡単ですが、差別化は敵を増やしやすいです。

「自分の方がすごい」と言うことは、
間接的であれ「何かがダメだ」と言うことにもなってしまうからですね。


今回のセミナーで話したのは、差別化についてではなく独自化についてです。


わざわざ何かと比べなくても、
オリジナル感(「この人は何かが違うぞ!」オーラ)がある人になれば、
どこかの会社で働くにしても、
理想の伴侶を探すにしても、
起業するにしても、
自然とうまくいきます。

居るだけで周りに価値を提供し、明るく照らせるからです。

では、どうしたらオリジナル感が出るかというと、
何か1つでも良いので「輝く何か」を作ることです。


で、この話が前回の記事とつながってくるのですが、
輝く何かを作るためには、
余計なことに熱中しないで本当に大事なことを磨くことです。

これについては、受講生の西村さんがブログで書いてくださったので、
見てみてください。

から揚げが無くなったら死んじゃう人


あと、オリジナル感を出すには、人生をどんどん進めることですね。

腑に落ちない人もいるかもしれませんが、
どの段階にいたとしても次の段階はちゃんとあります。

「なんとなくうまくいかないなぁ」とか、
「なんとなく同じ失敗を繰り返してる気がするな」という場合は、
もしかすると同じ段階に居続けているのかもしれません。

同じ段階にいても、
表面上は違うことが起こるので、変化していると錯覚するのです。

RPGとかのゲームでたとえると、
最初の洞窟でスライムみたいな雑魚敵とずっと戦ってるみたいなものです。

同じところで戦ってても
新しいアイテムを手に入れたり
遭遇する敵の数が変わったりしますが、
文字通り「次のステージ」に行かないと大きな変化はないですよね。


多くの人と話していていつも思うのですが、
人生で次の段階に進むための
トリガーというか条件みたいなのがあると思うんですね。

RPGとかのゲームでたとえると、

「村人全員に話しかけまで次のイベントが起こりません」
「レベル30にならないとこの武器は装備できません」
「○○村に行かないとこのキャラは仲間になりません」

みたいなのと同じで、
ある条件を満たさないと次に進まない。


これが現実だと、

・悪い癖を直さないと進まない。
・何かを卒業したり捨てたり手放したりしないと進まない。
・やることを大きく変えないと進まない。

といったかたちで現れます。

多くの人はこの条件を無視して
次に進もう(何かを得よう)としてしまいます。

人生に攻略本はないので
こうなってしまうのも
仕方ないと思います。

そもそも、何が条件になっていて、
どのトリガーを引けば次に進むかすら気付きにくいのが現実です。


しかし、大丈夫です。

現実では「苦痛の連続」というかたちで神様が
ヒントをこっそり出してくれます。

……

大丈夫そうじゃないですね。

実際、大丈夫そうじゃないことが起こります。

たとえば、
困ったことが次々と起こるとか、
同じような失敗を繰り返すとか、
嫌な人としか出会わないとか、
自分のダメさを見せつけられたりとか。

実はこれらの大半は、次の段階に進むための神様からのヒントです。

さきほどのRPGのたとえでいうと、
「この先はレベル50にならないと進めません」
みたいな警告なのです。

(さっきからゲームのたとえばかりでゲームやらない人ごめんなさい)


なので、困ったことが起こったら、
「どうしてこんなことになるんだ!?」と感情的にならないで、
冷静に

『この苦難にはどんなヒントが隠れているんだろう』

と思った方がいいです。

つまり、
大丈夫そうじゃないことが起こったときに、
「大丈夫と思えるかどうか」が試されます。

どんなに大変に見えたり理不尽に見えたりすることでも、
微妙なかたちで自分で引き寄せているからです。

逆にいうと、自分で良い現実を創造することも可能です。


こういう「自分を変えると世界は変わる系」の話しは
引き寄せ系の本とかブログとかでよく言われることですが、
なんとなく納得いかない人もいるかもしれません。

その場合でも、とりあえず「そういうもんなんだなぁ」と
一時的に受け入れてみると、後で感覚が掴めてきます。

RPGとかのゲームでたとえると、
王様っぽい人から急に
「お前は魔王を倒すためにこの世界に来たのだ」
と言われたら「そういうもんなんだなぁ」と思うのと同じです。

……これは微妙なたとえですね(笑)

全員がそうは思わないかもしれませんが、
最初は違和感あっても、ある1つのマインドセットを繰り返せば、
慣れていきます。


もちろん
「自分を変えると世界は変わる系」の話しを受け入れなくてもいいのですが、
苦難や失敗を誰かのせいにしてしまうと、
神様が「これでも気づかんのか!」といった感じで
更に困ったことを起こしてくれます。

でも困らせたいから困らせるわけじゃなくて、
次の段階に進めるために(何かに気づかせるために)困らせるわけです。


神様からのメッセージに早めに気づくには、 
自分で作った人生のプランをいちど手放してみると良いです。

なぜなら、
自分で作った「幸せのプラン」というのが、
神様が作った「最強の幸せプラン」と違うことが多いからです。

これは、無計画になりましょうという話ではありません。

ただし、自分の計画にしがみつきすぎると、
次の段階に進むための条件に気付きにくくなりますので、
幸せのプランを「変更」できる余裕を残しておいてください。


たとえば、

・お金が欲しい
・パートナーが欲しい
・自由が欲しい

といった願いがあれば、それ自体は良いことですので、
受け取ってください。

しかし、現実的には願い通りにならないことで困るかもしれません。

そのときは今の段階で受けとれる量の限界値に
達している可能性が高いので、
何かを「変更」するタイミングが来ています。

たとえば、

・もっと高い次元の生き方を目指す。
・今までと逆に見えることにチャレンジしてみる。
・物事に対する姿勢をもっと真剣にする。

など、
色々と変更しているうちに次の段階に進むための条件がクリアされて、
いつのまにか願いも叶っているかもしれません。


このような感じで、
どんどん人生の段階を進めていけば、
自然と自分のオリジナル感が引き出されて輝いていきます。

輝いている人は本質的な魅力がありますから、
自動的に全部うまくいってしまうのですね。

でも変化に抗っている人は
自分の魅力の無さを他の何かで埋めようとしているので、
余計に魅力なく見えます。


私もそうでした。

昔いじめられた経験や、
愛されてないと思った経験、
否定されたと感じた経験など、
そういった「過去の傷」を守るために
自分をスゴイ人に見えるように演じていました。

復讐が悪いわけではありません。

ですが、傷は癒されたときに、
もう一度その経験をするのを恐れなくなります。

人生に良い変化が来ないという人は、
実は、もう一度傷をえぐられるのを恐れているのかもしれませんし、
オープンになるのを恐れているのかもしれません。

人や世界に対してのオープンさを、ゆっくり取り戻してみましょう。

自分を守る精神的な武器を手放すほど
本質的な魅力が増しますよ。


本当の格好良さは、ダサさを受け入れた先にあると思います。

少なくとも私は全力でダサさを隠してる人よりも、
全力でダサい人の方が尊敬します。

でも全力でダサい人って格好良いので、
真理の世界ではやっぱり
反対のことが同時に起こるんだなぁ、と思います(笑)

落ち込み回避のための熱中病回避について

前回、落ち込みから抜け出す方法を書いたので、
今日はそもそも落ち込みを回避する方法を書こうかと。

この記事を読むだけでも
だいぶ落ち込みにくくなると思うので
よろしければ読んでいってください。


回避方法は色々あるのですが、まず落ち込む原因を知っているといいです。

自分をよく観察していれば、
自分が落ち込む負けパターンが見えてきます。

そのパターンを繰り返さないようにするといいですね。


で、多くの人が見逃す落ち込む原因は、
意外にも「楽しみすぎ」です。

「楽しんでたら落ち込んでないじゃん!」と思われるかもしれません。

もちろん楽しむの自体は問題ないですし、
豊かさはキャッチしてもらいたいのですが、
それが「熱中」のレベルになると話しが変わってきます。

ここでいう熱中とは、
何をしているときでもそのことしか考えられない状態になっているやつです。


恋してるときの感覚に似てますね。

なんか私が恋とかいうとキャラ崩壊しそうですが、
私も恋したりなんだりしている時代がありました。

恋すると、
何をしてるときでもその人のことしか考えられなくなって
他のことへの集中力が著しく低下しますよね。

こういうのって一般的には良い感じの雰囲気に思われがちですが、
実は恋のほとんどは執着なので、うんたらかんたら。


……と、昔の自分に言ってやりたいです。

夏が近づいてきているので熱中症に気をつけるとともに
熱中病(勝手に作りました)にも気をつけたいですね。


もちろん恋が悪いとか熱中が悪いとか、
そのような話しではありません。

後ろの方に書くと思いますが、良い熱中のケースもあります。

問題ありバージョンの熱中病は、
なんとなくそわそわしたり、
他のことをしているときでもそれについて考えてしまったり、
集中力がなくなったり、
1人で落ち着いていられなくなったりするものです。


分かりやすい例は、スマホアプリのゲームに熱中している状態です。

私も犠牲者になったことがあるのですが、
あれ本当に怖いですよね。

熱中するような仕組みが沢山仕掛けてあります。

たとえば、
ログインするたびに報酬を渡してきたり、
定期的にイベントを開催したりして、
良い感じで習慣化させてきます。

(一番育てられてるのは、ゲーム内のキャラやモンスターじゃなくて
プレーヤーなんじゃないか、と思ったりもします。)


熱中しているときとは、気になっているときです。

逆にいえば、気にさせることに成功すれば、
プレーヤーを熱中させることが出来るわけです。

ビジネスしている人は
この原理を知っていればお客を熱中させることができますが、
やりすぎは信者を生むので注意です。

ファン化するくらいならいいと思いますが、
信者は極端に依存したり、関係を切られるのを恐れたりします。


話しを戻すと、
1日に何回も何かに気になっているときは要注意です。

スマホのゲームだったら、

「そういえば新しいイベント始まったかな」
「そういえば今日はまだログインしてないな」
「そういえば友達申請きてないかな」

といった具合に気にならせてきます。

もうお気づきと思いますが、FacebookなどのSNSも
熱中しやすい仕組みになっています。

「いいね!は何個ついたかな」
「誰か投稿したかな」
「そろそろ何か書こうかな」

といった具合に、
気づくと何回も意識を抜かれているかもしれません。


これまたスマホゲームやFacebookそのものが悪いと
言いたいわけではありません。

熱中しなければ問題ないですし、
自分が熱中しやすいと分かっている人は
その対象から離れるといいと思います。

熱中すると大事なエネルギー(時間、お金、意識)が、
バランス悪くそこから抜けてしまい、
本当に大事なところにエネルギーをかけることが出来なくなり、
落ち込みやすくなります。


ところで、そもそもなぜ熱中してしまうのか?

このあたりからスピリチュアルの話しともつながってくるのですが、
「獲得と達成」の快感ループから抜け出せなくなるからです。

これは今の欠乏感からやってきます。

「何かが足りない!満たさなきゃ」と思えば思うほど、
何かを獲得しようとし、それを達成したときの快感を目指そうとするのです。

しかし、
それを達成してもいずれ満たされなくなるので、
次の何かを獲得しようとします。


こうなってしまうのは、仕方ないように思えます。


生まれた瞬間は「自分」という「個」の感覚がないので、
全体性があります。

しかし、親から名前を呼ばれたり、
学校に行ったり、社会に出たりと、さまざまな経験をすると、
「個」という感覚が強くなります。

自分は周りと違う切り離されたものだ、という認識です。

そのような個が増えれば、
そこに自然と「競争」が生まれますよね。

たとえば、

・テストで良い点数をとろう
・良い学校や会社にいこう
・もっと認められよう

といった具合に。

これが獲得と達成を求めてしまう原因です。


以上のような「個」の認識のプロセスは、
社会で生きていく上ではある程度必要なものだと思います。

私が「黒澤さん」と名前を呼ばれて、
「いや、私は黒澤という個ではありません」みたいに答えたら、
おかしいですよね。

しかし、周りから切り離された感覚が過剰に強くなると、

「自分には何かが足りない」

という欠乏感が強くなり、
満足感を必要以上に求めるようになります。

これが「獲得と達成」を求める原因であり、熱中病のきっかけです。

全体性に気づくためのスピリチュアルの実践は、
熱中病防止にもなりますし、
獲得と達成という疲れる旅を終わらせることにもつながります。


私のセミナーや講座に参加している人はここまで読んで、
「何かをクレイジーに極めましょう」という話しも熱中病じゃないですか?
という疑問が出てくると思います。

もちろん何かを極めたり磨いたりするのは大事です。

しかしこれらの目的は、「誰かのために」です。

今回の「熱中」の話しは、
自分の満足感を得るのが目的になっている点で「極める」の話しとは違います。


そういえば、敵を増やす発言かもしれませんが、
スピリチュアルや自己啓発、お金稼ぎなどの勉強に熱中するのも危険です。

行動できていたり実現できていたりすればいいですが、
ただ満足感のために熱中しているのは、
スマホゲームに熱中するのと同じようなものです。


うーん、これは言い過ぎですかね。

でも勉強系の熱中は、パッと見は良いことに見えるし、
周りからは「すごいね」とか言われるので承認欲求も満たすことが出来てしまいます。

場合によってはゲームよりも抜け出しにくいかもしれません。

勉強は絶対にした方が良いものですが、
行動や結果が伴っているか要チェックですね。


本当に大事なものや
大事にしたいものを守るために熱中するのは、
素晴らしいことだと思います。

時間は限られているので、濃い人生を送りたい人は

《自分が何に熱中するか?》

きちんと選んだ方が良いと思います。


本当に大事なものが定まれば、
そろそろ熱中するのを卒業した方がいいものが
見えてくるかもしれません。

落ち込みから抜け出すために抜け出さない方法

こんにちは、黒澤全です。

裏メルマガより文章が短くなると思いますが、
ブログ限定の記事も書いていきますので、
ときどきチェックしてもらえると嬉しいです。


今回は落ち込みから抜け出す方法について。


まず、この話をするときにいつも思うのが、
「落ち込んでもいいじゃないか」という話です。

もちろん、
「落ち込んでください!」
みたいな話ではありません。

落ち込むことについて考えて、
もっと落ち込まなくてもいいんじゃないかと。

そういう話です。


雨の日があって晴れの日があるように、
落ち込むときもあれば落ち込まないときもあります。


……ですが、
これで話を終えてしまったら
つまらないと思いますので、
もう少し考えてみましょう。


こういう私も、数年前まで落ち込むのが得意技でした。

でもそのときから講師業をやっていたので、
表面上は落ち込んで見えないようにスバラシイ自分を演じていました。
(これが悪化の原因だったのですが)

特に「落ち込む期」みたいなのが時々やってきて、
その期間は大変です。

ソファーでまるまって、1日中なにもしない日もありました。

あとから考えてみると、
「何であんなに落ち込んでたんだろう?」と思うのですが、
落ち込んでるその瞬間って本当に辛いですよね。


今になって分かったのが、
ほとんどの「落ち込む期」は何かのチャージ期間だということです。

慢性的に(たとえば3ヶ月以上落ち込んでる)のは本当にまずいと思いますが、
1週間くらいの落ち込む期は邪気をデトックスして、
そのあとの成長や成功への飛躍に備えている可能性があります。

年中とおして時々やってくる冬眠みたいなものですね。

なので全ての落ち込みが
絶対に悪いわけでもありません。


ただし、落ち込む自分を見て更に落ち込む癖がついてると、
落ち込みが慢性化するかもしれず、これは対策しておいた方がいいです。

今からちょっと恥ずかしいことを発表するのですが、
小学生の頃の私は、
悲しくなると洗面台の鏡の前に立ち、
悲しそうな自分を見て、
もっと悲しくなって号泣していました(笑)

我ながら落ち込みのプロだったと思います。


さすがにここまで露骨に自ら落ち込む人はいないと思いますが、
落ち込みを悪化させていないか、チェックしてみてください。

意外に思われるかもしれませんが、

「落ち込んだらまずい!」

と強く思っている人ほど
落ち込む自分を責めてしまうために、
落ち込みを悪化させていく傾向にあります。

(長男・長女の人に多いです。)

こうなると、

落ち込む → 落ち込んだ自分を責める → さらに落ち込む → さらに責める → …

という、よろしくないコンボ技が発動して
精神ダメージを受けます。


ではどうすればいいかというと、
落ち込みに逆らわずに
落ち込む自分を受け入れてあげることです。

よく「受け入れましょう」って聞くと思いますが、
これがイメージできない場合はまず

「放置する」

を意識すると良いです。

逆らわずに、そのままにしてみる。

落ち込んでる状態に浸らずに、かつ、
落ち込んでる状態を責めない。


落ち込みに逆らわない方法は沢山あります。

たとえば「落ち込むことのメリットを探してみる」というのは、
よくある方法ですが、非常に効果があります。

……落ち込むことのメリット、どんなことがあるでしょうか?

すぐには見つからないと思いますが、
じっくり考えてみると隠れたメリットが
見つかり始めます。

たとえば、

・ラクできる。
・誰かに気にしてもらえる。
・反省の機会になる。
など

実は落ち込むことによって受け取っていた何かがあることに、
気づけるかもしれません。


しかし、ここまで書いてきたのは
落ち込みを悪化させるのを防ぐ方法であって、
落ち込みから一気に抜け出す方法ではありません。

ここからいよいよ本題の
落ち込みから抜け出す方法なのですが、言葉にするとシンプルで、

《落ち込みに”気づく”だけ》

です。


何も考えず反応的に落ち込むと、
落ち込みから抜け出せなくなります。

落ち込んでいる時は、次から次へと変な妄想をするからです。

そのため、
落ち込みから抜け出すのに一番良い方法は、
自分が落ち込んでいるのに全力で「気づく」ことなのです。

落ち込みから逃げたり、落ち込みと戦ったりするのではなく、
落ち込んでる自分を冷静に眺めてみましょう。


「うん、落ち込んでるな!」と
開き直るだけなのですが、
意外とそれだけで改善に向かいます。

この方法で私や講座の参加者は
落ち込み状態からすぐに抜け出せるようになりました。


私はあるとき、落ち込む、といっても、
それは微妙な感情であることに気づきました。

その感情を観察してみると、最初は
怒りや悲しみや不安や期待など色々な感情が
混ざっているように感じるのですが、
だんだん名前の無い1つの感情であることに気づきます。

それは、

どんな色なのか。

どんな香りなのか。

どんな味なのか。

感情に浸らずに、感じきる。


すると、
最初は真っ暗闇の中にいるようなのですが、
静かに観察していると僅かに光が見えてきます。

上の方に「落ち込みを受け入れましょう」と書きましたが、
本当は最初から落ち込むことが許されていたことに気づきます。


ほんと不思議な感覚です。


勉強している人ほど「自分は落ち込まない」と期待しがちですが、
それが新たな信念というか条件付けとなって、
「本当はしっかり落ち込んでいる自分」を責める材料に
なっているかもしれません。

どんなに成長しても
「落ち込み」そのものは消えませんが、
落ち込みに対するイメージはあたたかいものになります。


次に落ち込んだときは、
落ち込みの美しさにただ気づいてみてください。

落ち込んでいるときにしか見えないことがあり、
落ち込んでいるときにしか心に響かない曲があり、
落ち込んでいるときにしか気づかない景色があります。

それに気づいたとき、落ち込みは、
「落ち込み」というイメージから解放されます。